コロナ禍に気付かされた「やれたこと」にフォーカスを当てる考え方

緊急事態宣言に伴う本格的なコロナ自粛が始まって1ヶ月。

正直精神的にとてもきついです。

これは世界中のたくさんの人が共通していることですが、こんなに辛い日々が現実に起こるとは想像しなかったですね。人為的でないもので言うと、地震や台風が日本では多いですが、これらの被害は時に甚大であるものの、復旧のめどはいつも基本的につきます。そしてそれらの被害は局地的なのでコロナのように世界中が巻き込まれると言う事態はまさに未曾有の事態です。

コロナ拡散により仕事を失ったのが2月末。しかし当初は前向きに色々考えていました。

しかし、そんな3月上旬から世界が蝕まれていくと同時に自分自身も蝕まれていきました。それも、気づかないようにジワジワと。

ジワジワ蝕まれたボクは、いつしか冷静に物事が見れなくなっていました。

コロナ禍で恐ろしいこと

新型コロナウイルスに蝕まれたら命の危険があることは明白ですが、一方で、コロナ禍で恐ろしいのは、心が蝕まれることです。

その一番の理由は「ストレス」

普段の生活でも生きていればストレスって色々ありますよね。

しかし、この自粛生活下では環境、条件によってはかなりのストレスがあります。

欲求不満という言葉がありますが、あれしたい、あそこ行きたい、あれ食べたい、あの人に会いたい、、、などなどたくさんのWANTが抑圧されることで欲求不満度合いは皆ピークを迎えますね。

他人を攻撃する人びと

テレビをつけるとコロナの話でいっぱいです。一人一人が正しい情報を持つことは大事ですが、ストレスに感じるのはみんなが誰かを攻撃していること。

例えば、「安倍は無能だ、コロナ対策を間違った、やめろ」とか、「自粛に応じない人がどうのこうの」とか、とにかく誰かを攻撃(口撃)する様子ばかり。

テレビ以外でも、いわゆる”自粛警察”が「あいつ自粛していない」と怒ったり、”マスクおじさん”が「マスク売っていないのか!隠しているだろう!出せ!」と騒いだり、、。

ストレスが溜まりに溜まって、他人を攻撃し、そしてそれによって溜まったストレスをまた他の人にぶつけるという負の連鎖を感じます。

しかし、ストレスの怖いところは、コロナウイルスと同じで、

自覚症状ないまま蓄積してしまうこと。

今、自粛生活において、多くの人が平常時と比べ物にならないストレスを浴び続けています。いるはずです。

しかし、それすらもある意味で慣れてくると、自分では感じなくなるのです。感じないから、対策を取る気持ちにもならないし、大丈夫に感じる一方、心は確実に蝕まれるという怖さがあるのです。

マイナス面を見てばっかり

そんなストレス過多の生活の中で起こってしまうのが、何事もマイナス面に目が行ってしまうこと。

そして、これはボク自身もかなりはまってしまったものでした。

自粛警察とまではいかないですが、自分が会いたい人に会えず、行きたいところに行けずとも自粛生活、STAY HOMEを頑張っていると思っていたので、マスクもせず遊びに行くような雰囲気で道ゆく人を見て、「家にいろよ」って思ってしまいました。

どこに行くでもない日の過ごし方は人それぞれだと(今なら)思いますが、昼過ぎに「今起きた」みたいな人に、「ダラけすぎだろ」と嫌な印象を持ちました。

最初に書いた通り、コロナ拡大当初、ボクは「今できることを」やって世間に貢献しよう!という活動を始めましたが、だんだん温度差が出てきて、活動に熱が感じられない人の「出来なさ」をイライラしてみてしまいました。自分の感覚ではたいし労を伴わない作業がすぐにできない人が信じられず、「なんで出来ないんだよ」と思い続けました。

もちろんそこには、「やればできるはずだ」という思いがあったのは事実です。そして、やれたらすごいことができるのに、という思いがあったのも事実です。しかし、ボクは「やれないこと」、「やらないこと」に対するイライラを抑えられませんでした。

なんで出来ないの

なんで出来ないの

なんで出来ないの

と。

異常事態の中で気づいた「プラス」を見ること

そんなストレスまみれの生活の中、心の安定、心の健康を求めてセラピーを受けたり、本を読んだり、色々しました。ある時点で、「このままではダメだ」と気づいたからでした。

確かに、例えば仕事の場面、何かを達成するに向けて「やれていないこと」を把握し、それを埋めることは必要なことは多々あります。どれくらい出来ていないか、なぜ出来ないかなどをしっかり見つめなければいけませんね。

しかし、今、様々なことが規制されていて制限されている生活の中で、出来ていないこと、やれなかったことを見つめてもハッピーではありません。それよりも

やれたこと

にフォーカスするという考え方に出会いました。

ネットで、「やれたことノート」というのを見つけ自分なりに改造して、使ってみることにしました。

やれたことノート

そのノートは、出来なかったことを全く無視して、とにかく「やれたこと」だけを書いていく日記みたいなものです。

例えば、「朝ごはんが美味しく出来た」というような日常のことでもいいし、仕事関連で考えるなら「xxさんとの仕事の約束成立した」とか、「xx用のプレゼンが作れた」など。

これらの裏で、どうしても出来なかったことは存在はしますし、それを実際的に無視するわけではありません。

ただ、ノート上はやれたことだけ記載し、フォーカスを当てる感じです。

それにより、このコロナ禍で苦しいこと、出来ないことばかりの生活の中から出来たことを抽出し、こんな時でも前に進めていることを実感することができます。

もちろん人とシェアして、お互い褒め合うというのもいいですし、自分で見返して、なるほどなるほど、これだけのことができたんだね、と週ごとに実感し、自分が前に進んでいることを感じながらポジティブな気持ちになるというのが狙いです。

まとめ

  • コロナ禍のストレスはやばい
  • 肺炎になるのと同等で心が危険な今の生活
  • マイナス面ばかり目が行き、人を攻撃してしまう
  • 「やれたこと」にフォーカスし、ポジティブに生きる

いやぁ、正直自分がここまで追い詰められるとは思わなかったです。

心理学をずっと勉強してきて、ストレス対応も知識は人よりあると思っていたし、ポジティブな考え方は知っているし、落ち込んだりネガティブになることは定期的にあれど、その都度「あ、これはあかん」と思ってポジティブになることをやったり、気分転換したりして常に前向きに生きていける人間だと思っていました。

しかし、気づいた時にはかなり自分の状況はよろしくなく、それに関連して失ったものも少なくありませんでした。

失ったもののいくつかはもう取り戻せない可能性があり、その事実が新たなストレスを生んでいるという負の連鎖は残っているのが実情ですが、

しかし、

負の連鎖に気づき、自分の脆さや弱さに気づいた今、何も対策をしないというわけにはいきません。

過ちや失敗には真摯に向き合い、詫びるべきは詫び、受けるべき罰は受け、清算するべきものは清算し、次の一歩を踏み出さなければなりません。

無駄に、というと変ですが、根拠のないポジティブは実は悪だと思うところもあるボクですが、この異常事態に、「やれたこと」にフォーカスする手法と出会いました。

新型コロナの今後は未知ですが、しばらくはwithコロナの時代が続くと思いますし、緊急事態宣言が延長され、次の冬に第二派が来るとも言われているご時世です。

この新しく出会ったやり方を試行し、今後の生活、仕事で活かせる道を考えたいと思いました。

シアトル生まれ、大阪育ち。6年前に独立・起業しましたが、コロナ禍で事業が大ダメージを受け、人生の方向転換に悪戦苦闘の日々です!とにかく、「ワクワク」に満ちた毎日を目指してできることから地道に頑張っています〜!