「終活」とは人生の終わりに向けて、前向きに準備することで、今をよりよく生きる活動です。 世界一の長寿国である日本で、高齢化と少子化は進行し続け、また経済的にも厳しい現代で、自分のエンディングに不安を感じる人が多くなったことは事実です。
(from 快活ライフ)
昨日、発達心理学者のエリクソンが提唱した「ライフサイクル理論」と、その中で、8つの発達段階があるという考えを紹介しました。
ボクは今、6段階目で停滞中で、「孤独」という課題と向き合っているという話をしましたが、この課題を乗り越えたとして、次の次、最後の8段階目は、「死」に向かっての取り組みとなります。
今日は、最近よく聞かれるようになった、「終活」という言葉と合わせて、人生の終わり、そして、死についてのボクの想いをまとめました。
発達段階最終8段階目
- 成熟期:自己統合 vs. 絶望
全部で8段階ある中の最後、「成熟期」や「老年期」と呼ばれる段階に向合う課題は、「自己統合」。
簡単にいうと、それまでの人生に「満足感」を感じたり、やり残したことがないという「充足感」や、もうすぐ人生を終えるということに対して「納得」することができるかどうか?という課題です。
これがクリアできれば、安心して、心安らかに死んでいけるのに対し、クリアできないまま死に直面すると、「絶望」と呼ばれ、死ぬことが怖かったり、ここで人生を終えなければならないということに対して絶望感でいっぱいなまま死を迎えるということになってしまいます。
納得して死ぬために
ということで、人は誰でも死ぬわけですが、寿命を待たずして事故死や病死などという目に合わない限りは、この成熟期である年代まで生き、いよいよ寿命を迎える時期に自己統合を目指すわけですが、そのために今、「終活」が脚光を浴びているということです。
最初に引用を載せましたが、死ぬことを前向きに考えて、そこに向かってすべきことをしっかりやっていくことで、「絶望」しない様に備えるわけです。
今35歳のボクには正直想像もできない世界ですが、論理的には理解できます。
整理と準備
さて、就活では何をするのでしょうか?
簡単にいうと、「整理」と「準備」です。
整理とは、今まで築き上げた財産、資産を整理することで、全てを持って死ねませんから、処分を中心に考えるということです。特に、お金はもめることも多いので相続含め、しっかり整理しましょう、という意見は多いです。
また、家をはじめとした財産も、しっかり計画的に整理します。
準備については、例えば葬儀の準備もそのひとつで、これまでは遺族が手配して、というのが一般的でしたが、自分で積み立てをはじめたり、葬儀の内容を先に決めてしまいます。お墓がない場合はお墓の用意も同様です。
エンディングノート
これらの整理や準備に関して実際に行動する前に始めるのが「エンディングノート」と呼ばれている計画ノートで、
- 自分のこと(生い立ちとか、人生を振り返って)
- 家族や友人へのメッセージ
- 今後の収支計画(想定の収入や出費計画)
- 葬儀や相続のこと
- セカンドライフ(老後の過ごし方のアイデア)
こういったことを随時書き出していきます。
ご高齢になると、どんどん医療費が増えて、家への介護的投資が増えたり、ヘルパーさんを雇ったりという費用もあります。精神が健康でも、自分ではコントロールできない体の不健康を抱えることが多く、それらにかかる費用と、年金や蓄えのバランスが大丈夫か、というところをファイナンシャルプランナーさんと相談するということも終活の一部だそうです。
終活を始める時点で病気でもなければ、余命がわかりませんので、ある程度は想定の死期に対応する計画を立てるわけですが、例えばそこから20年とか結構長く生きる想定な人は、物価の安いアジアの国に移るというのも少し前からよく聞く老後の生き方ですよね?
2050年ごろには日本の人口約半分が60歳以上だそうです。
ボクはその頃70歳。
立派なシニアですが、周りを見渡すと60未満が半分という世界です。
その時になってみなきゃわかりませんが、今とまた違った終活の世界が始まっているかもしれません。
まとめ
今まだ30代のボクですが、最近自分の人生について色々考える機会がありました。
その中で、今「親密性 vs 孤独」という6段階目の課題に苦労している(お恥ずかしながら)ことを痛感したわけですが、そこをクリアして、って思った時、
あ、あと2つで「死」との向き合いじゃないか
と気がついたんです。
もちろん今の課題をクリアできるかできないかというのが目下の課題な訳ですが、今の自分には全く関係ないと思っていた「終活」が実はそう遠くない世界なのかもしれないと思って少し調べてみたら、なかなか奥が深い世界だったので、自分用メモ的位置付けも含めて今日の記事を描いてみました。
武士は、「生き様」じゃなくて「死に様」だったという話がありますが、毎日を必死に生きていると気づかない、死ぬ時に見るはずの景色を、今覗き見ることは決して無駄じゃないんだろうな、と思いました。
誰にでもおとずれる”その時”に
あー、いい人生だった!!
って言って逝ける様に、生きたいものです。