コロナ休校中に考える、”学生服”の功罪〜制服ってあるべき?やめるべき?

仕事柄中高生と関わることが多いですが、以前は制服を見ただけでどこの学生さんかわかるように地域の制服を頭にインプットしていたこともあります。

トレーダーがいろんな会社の動向を頭に入れておきたいのと同じく、ボクもどこの学校の子がどこで遊び、どんな日々を送っているのかが気になったわけです。

さて、そんな制服ですが、廃止する学校が増えたり、逆に有名ハイブランド製の制服を導入する小学校が話題になったり何かと賛成と反対が議論になりますね。

この記事を書いた人
LeoProf

海外研修プログラムを手配する仕事をしている関係で、いろいろな学校の制服を見たり、制服廃止を見たりして来た中で日本の学校制服文化について色々考える機会があります。

ボクは幼稚園以外で制服を着たことがなく、その都合から”制服で学校に行く”ということが感覚的にはわからない部分があり、「Leoは賛成派?反対派?」と聞かれると責任ある回答ができないかな、と思ってきました。

ということで、今、長期間休校が続く中で学生服について考えてみようと思いました。

そもそものルーツについて

てゆか、何で制服ってできたんや?
アメリカとか基本的に私服じゃないの?

そうやね、まずは日本の学生服のルーツを紹介しましょう

いくつか調べてみましたが、1879年に学習院という貴族階級向けの学校で学生服(今でいう学ラン)が制定されたのが最初という説が信憑製高く感じます。

これを採用するなら、日本における学生服の歴史は130年以上に及ぶことになります。

1879年というと明治12年、まだ多くの市民が和装だった時代ですが、軍服が洋服的デザインで、それを取り入れたものだったようですね。もちろんというと変ですが、この最初の制服は男子学生向けで、しかも最初は一部のエリート学生向けだったようです。

では、女子向けの制服はどうだったかというと、最初は袴だったみたいですね。戦前は今でいうところの中学校以上は男女別学だったので中学校(当時は高等女学校)から着るようになったようです。袴は足が露出しないことなど当時の女性にとって大事な要素があったみたいですが、1920年代になるとセーラー服が登場し、多くの女子学生から喜ばれたことが記録されています。

めっちゃ簡単に歴史的経緯をみたら、男子服は「軍服」起源で、女子服は「女性はこうあるべき」という社会的な思想を学生たちに文字通り”着せる”意図で登場したのが学生服か、という印象を持ちますね。

まあ想像通りというか、イメージ通りやね

制服が存続する理由

明治といえば大戦前、戦後日本は大きく変わり、21世紀になった今130年前とは全然違う国になっています。グローバル化が進み、様々なことが西洋化している今の日本で制服が残る理由とはなんなのでしょう?

制服着たことないからここがしっくり来ない点ですね

これを考えるには、もっと深い”成り立ち”と作る人(学校の制度を考える人たち)の想いや考えを想像しなければなりません。

確かにそうやね、決めるのは大人やからな

そうです、制服は大人が決めて、子供達に強要するもの(自由服という学校もあります)。校則と同じで、そこには大人たちの思惑があるわけです。なので、制服のメリットとデメリットを考えるところから始めようと思います。

制服のメリット

メリットについては、”大人目線”と”学生目線の2つの目線から見なくてはなりません。

大人目線でのメリット

  • 教員や警察にとってどこの学生かすぐにわかる
  •  「これが正しい」という思想にはめられる
  • 模範となる外装を指定することで風紀を維持できる
  • 皆が同じものを着ることでいじめ要因をひとつ潰せる
  • 冠婚葬祭にも使える
  • 貧富の差が目立たなくなる

学生目線でのメリット

  • 毎日着るものに悩まなくていい
  • 可愛い制服だと”アガる”
  • 同じ学校の友人と”仲間意識”が持てる
  • 制服デートに憧れる

大人目線と学生目線で色々違うんやな

もっとちゃんとリサーチするとより多くの意見が聞けるとだろうね

制服のデメリット

ではデメリットの方はどうでしょうか?やっぱりこれも大人、学生目線両面から見てみましょう。

大人目線でのデメリット

  • 初期投資が高い
  • 在学中に著しく成長すると直しや買い替えで出費がある
  • 洗濯機会が少ないので非衛生に感じる部分がある

学生目線でのデメリット

  • 個性が消される
  • ダサくても気に入らないデザインでも着なければならない
  • 頭のいい学校じゃない場合それがバレる
  • ストーカー的な他者に在籍校が知られてしまう
  • 性的な対象となる原因になる
  • 男らしさや女らしさを押し付けられる
  • 色々規制制限があるのでうっとおしい
  • 冬でもスカートは寒い(ズボン設定がある学校もあります)

デメリットの方が多くない?

ボクの意見じゃないけど、調べてみるとデメリットの方が多く語られているかも知れないね

と、いうことで色々調べてみたらこういったメリット・デメリットの声が見られました。ここからボクが感じ取ったこと、テーマとなるキーワードは、「均一性」の是非かなと思いました。

均一性の是非

色々な声を聞いてみて感じたのが「均一性」。

例えば経済面の話ですが、制服があることで家庭ごとの貧富の差がわかりにくくなるという声。これは”みんなが同じ服を着る”設定をすることで身に付けるものの良し悪しで経済力に目が行かないということで基本的に経済的に辛い層がこの考えを持っているようです。

また、保護者目線では、子供が「ダサい」と言われるのではないかと心配しなくていいという声も多いです。ファッションセンスはそれぞれですが、それを原因にいじめられることも心配としてはあります。他にも、胸元が開いた服だとか短いスカートだとか、チャラいと思われるようなファッションを娘がしてしまわないかとか、不適切な言葉が書かれた服を着ていて問題になることなどもありますので、そういった諸々の不安・心配をしなくていいという話は全て、「他と同じであること」からくる安心感です。

”出る杭は打たれる”日本的な風潮だと思いますが、他と違うことに不安を覚える人たちにとってはみんなが同じことは安心なのですね。

アメリカの学校のイメージ

一方、おしゃれやファッションに興味があったり、”他と違う”ことに興味がある子にとっては、同じでなくてはならないことに違和感を覚えます。

聞いた話では、女子生徒の下着の色まで指定する学校もあるとか。これは個人的に行き過ぎだと感じますし、そこまで統制を図ってしまうことに恐ろしさも感じます。

これを学生が感じても当然ですし、そこに窮屈さを感じてもおかしくありません。

アメリカからの留学生がよく言うことなのですが、日本の高校に来て最初に思うのが、「女子がみんな同じ髪型だ」と言うことらしいのですね。確かに、中学高校の女子は前髪が”ぱっつん”スタイルの子が多くて、長さも細かくは長短あれど、結構似通ったイメージがあります。

多分こんな感じが”典型的な”日本の女子学生

また、今の時代、「女子だからスカート」というのはジェンダー論が変わってきた中で時代遅れかも知れません。私服ではパンツを好む女性も多いですし、生物学的な性と心の性が一致していない人(性同一性障害など)に生まれた体に合わせて男性性、女性性を押し付けることも、仮に性が一致しているとしても「これが女性らしさだ」「男はこうあるべきだ」という偏った考えを押し付けることはよろしくないなと感じます。

果たして均一化を進めることは良いことか、悪いことか?

なんか思ってたより壮大な話になってきたな

Leoの考え

実は、この話を書こうと思った一番のきっかけは緊急事態宣言が発令され、休校期間が延長され、街から学生服の若者が消えてしまいましたが、週1回程度の登校日が設けられたことによりとても久しぶりに学生服を着る若者を見かけたことでした。

マスクをしつつも数人の学生が並んで歩いている様子を見たとき、自然と「ほっ」としたんですよね。

そのほっとした理由を自分で考えましたが、おそらく「平時に戻ってきた」感覚を覚えたからだと思います。そして、このコロナ禍で学習が遅れているとか大きなスポーツ大会が中止になるという学生にとって辛い時期に家で悲しんでいる彼らを想像して同情していた中で、次の何かに向かって動き出している学生を見られたこともあったかも知れません。

よく、偏差値の低い学校ほど生徒集めに必死なので可愛い制服を用意しようとするという話を聞きます。学校選びの基準のひとつとして制服の可愛さをあげる女子が多いのも事実と思います。なので、制服にはそれだけの存在感というか、力があると感じます。

一方で、制服を廃止して欲しいという学生の声も本当にたくさん聞かれますし、制服がないからこの学校を選んだという学生も多くいます。

この話題でディベートをやると本当に楽しそうだと思いますが、Leo的な結論を言いますと、

全ては無い物ねだりではないか?

という感じです。

どういうことかというと、制服がない学校の、特に女子生徒はいわゆる”なんちゃって制服”を欲しがります。つまり、制服的な着るものを欲しがるのです。学校に着ていくのはもちろんですが、ユニバやディズニーランドなどに着ていくことを楽しみます。

もちろん自分が可愛いと思うことが必須条件ですが、他校の可愛い制服を「いいな〜」と言います。

制服がある学校の学生は、制服がない学校の学生について「羨ましい」と言います。毎日同じ格好で学校に行くことに飽きたり、規制が窮屈だからそれから解放されたいのです。しかし、やはり自由服の学校の学生は、「毎日服選び面倒」と嘆きます。「制服ある学校にすればよかった」という学生もたくさんいますね。

つまり、一方のメリットを取ると一方のメリットが失われる、そんな世界です。

じゃあ何が正解?

では、どっちにするべきなのか?

それは実は大人目線のメリットデメリットに目をやればわかるかなと思います。

大人は、「これが正解」を考えます。もちろん、教育方針から時間割、どんな先生を雇うかなどなどたくさんのことを考えなければならないし、考える役割は大人、学校の管理職の人たちですね。全てを自由にするなら、学校は廃止にするべきで、子供達は自分で考えて、自分で必要な学習をしなければなりません。どこの国でも学校制度はあり、子供が教育を受けることは当然ですが、それは、このように全てを自由にしては教育は成立しにくいからでしょう。ある程度は大人が制度と施設を作って進めなければならないのが教育ということです。

一方で、その決めることの中に、「学生とはこうあるべきだ」「うちの生徒はこうでなくてはならない」という思想的な部分が入ることです。

もちろん高校や小学校・中学校でも私学だと自分の意思で入学する学校を選びます。小学校くらいだと保護者の意見が濃いと思いますが、自分で学校を選ぶ以上、その学校の校風や考え方を知った上で選ぶ必要がありますので、その学校が提案する、進める考え方や指導方法について同意しなければならない側面があります。

しかし、過度な押し付けは危険でもあります。

先ほども書いた通り、下着の色まで指定するのは行き過ぎですし、最近の話題でいうと、「着用マスクは白でなくてはならない」という驚きの規制を打ち上げた学校もあるらしいのでこれはヤバさしか感じません。

多様化が叫ばれる今の時代、狭い枠の中に多くの若者を当てはめて、そこから外れる者を規制し、罰するのはもう時代錯誤ではないかと思います。”ある程度”の規制やルール、枠組みはもちろん必要ですが、色々なものに規制緩和が必要なのではないかと思います。

学生側にも考えてもらうべきこと

ところで、実は学生側も考えなければならないことがあります。

それは、「レールを敷かれることは楽」だということです。

これまですでに日本式教育を受けてきた学生には染み付いてしまっていて難しいかも知れませんが、「これをしなさい」、「あれをやりなさい」と1から10まで指示されることは、面倒に感じるかも知れませんが、実は「楽」なんです。

これは、「制服がないと毎日の服装に悩む」という声でわかりますよね。

例えば模範的な制服の着こなしが示されている学校なら、その通りに着ていれば絶対先生に指導されることもないし、世間で恥をかく確率も低いでしょう。自分の頭で何が正しいかを考えなくて済むのです。楽ですね?

一方で、「何着てもいいよ」と言われると、どこまでが(社会一般に)許されるのかを考えなくてはなりませんし、ファッションセンスの話でいうと、かっこいいのか可愛いのか、ダサいのかなどを自分のセンスで見極めなくてはなりません。制服があれば、「これ着ておけばとりあえず大丈夫」と思っていられます。

日本の教育ではこうして、おんぶに抱っこというか、手取り足取り、「こうしておけばセーフだよ」というレールの上を歩かせてくれます。そして学生たちはそのレール上を歩く生き方を学び、そこに違和感を感じず育ってしまいます。

もし、学生服を着ることに不満を覚えたり、疑問が湧いたとしたならば、実はこういう背景のもと自分たちが育っていることを知り、そして、ただ一辺倒に窮屈だから脱ぎたい、という話をするのではなく、制服がなかった場合のデメリットや、制服があることの利点を知らなければならないのです。

強い言い方をするならば、制服がなくなった時、あなたは自分で正しい服装をする覚悟がありますか?ということですね。

しかし、レールは撤廃した方がいい

と、いろいろ書きましたが、無い物ねだりの中、ボクが思うのは、やっぱりレールはやめるべきということ。つまり、学生たちは

自分で考える頭を持つべき

だということです。

制服をいきなり撤廃するまでの考えではありませんが、前提として、当然のこととしてそこに存在する制服について「疑問に思うこと」が大事です。

なぜ大人は制服を作り、これを着せたがるのか?そこを考え、そして、本当に必要か、不要かを考えましょう。そして、もし不要だと感じたなら、ただ一方的に廃止を望むのではなく、代替え案や対案を考えるという方向で考えて欲しいですね。例えば女子生徒でもズボンが選べるようになってきたこともひとつの代替え案や対案に当たります。

もし制服を着るのが嫌なら、なぜ嫌か、そしてその嫌な要素を取り除くためにできることは何があるか、考えうる全ての案を絞り出して欲しいなと思います。

大人がレールを用意したとして、そこを走るのは安全安心かも知れませんし、それが正解なこともあると思いますが、その進む先は大人に決められた場所ですよね。少し危険でも、不安があっても、レールから外れて、自分の足で歩く勇気を持ってもらえたらいいなと、そういう風に思います。

って感じですわ

勉強になりました(多分)

まとめ

  • 制服はあってもなくても「無い物ねだり」が起きる
  • キーワードは「均一化」の是非
  • レールの上を歩くことは「楽」
  • そこからはみ出る「勇気」を持って欲しい

これがボクが今考える制服に関する考え方かなって思います。題名が「学生服の功罪」なので、もともといいところ、悪いところだけ書こうと思っていたのですが、書いた通り、道ゆく学生服の若者を見て”癒された”自分を思い、やめることだけがいいわけでもないし、精度が完璧なわけでもないし、だったらどう付き合うべきなのかな?と考えたのでこんな感じで記事として仕上がりました。

ボクは個人的に中高制服着たことがなかったので、制服で通学することには少し憧れがあって、それはよく、アメリカからの留学生たちも口にするので、それが6年間だとしんどく感じるかも知れませんが、少しの”体験”ならやってみたいという不思議な対象だなって思いました。

ともあれ、今まだ日本の多くの学校で制服は制度として存在し、そしてそれを嫌だと思ったり、こだわりを持つ学生さんがたくさんいるのが事実ですので今後も制服についてはいろんな議論が湧くと思うし、それはボクにとっては興味深いトピックなのでこれらも注意して見守りたいなと思います!

シアトル生まれ、大阪育ち。6年前に独立・起業しましたが、コロナ禍で事業が大ダメージを受け、人生の方向転換に悪戦苦闘の日々です!とにかく、「ワクワク」に満ちた毎日を目指してできることから地道に頑張っています〜!