脱・年賀状!わたくし、年賀状やめます!〜「コトヨロ」

あけましておめでとうございます。

2021年。

数字で見るととっても”未来”を感じます。

2020年はオリンピック開催予定だったからでしょうか?不思議と身近に感じていましたが、2021年はなんだか”他人”に感じます。

さて、

題名の通り、2021年より、「脱・年賀状」することに決めましたのでその件について、ブログでの発表で恐縮ですが、説明を書かせていただきたいと思います。

脱?なんや新年早々

別の言い方をするならば、年賀状を卒業?

うーーーー??ン????

年賀状をやめます!

年賀状は、日本の大切な文化であり、その風習は100年以上も前から続いているとされています。

新年を迎え、新たな気持ちの中、お世話になっている方々や親族、友人に「去年はありがとう!」「今年もよろしくね!」と挨拶をする大切さもわかります。

しかし、その、「挨拶」が年賀状でなければならないのか?

ここがここ数年ずっと疑問でした。

アメリカではクリスマスカードが近しい存在

ボクは6年くらい前までしばらくシアトルに住んでいましたが、アメリカではクリスマスカードが(年賀状と比べて1週間早い)同様のご挨拶のツールとなっています。

「メリークリスマス」「そして良いお年を!」

そんなメッセージが一般的ですが、1週間経って、新年を迎えた後、1日に必ず連絡したり、ご挨拶をする習慣はありません。

もちろん、西暦で生きている人々は、1月1日が新年の始まりですし、NYのカウントダウンが有名なように、大晦日にはカウントダウンをします。

が、新年の挨拶は、新年最初に相手に会ったタイミングでするのが一般的です。

つまり、もし1日に何か用事があって電話したなら、「Happy new year!」から会話を始めますが、初めて会うのが10日ならその時にハピニュを言います。多分でが、15日くらい経った後まで会うことがなかった人にはもうハピニュは言わないかな?くらいです。

年賀状は時代の波に流され、消えゆく方向に

アメリカかぶれで、アメリカの感じが正しいと思っているという話ではありません。

ただ、インターネット時代より前とは違い、今では親しい中なら0時過ぎにLINEで「あけおメッセージ」を送るのが浸透していたり、LINE以前でもEメールにて「あけおメール」が広まっていましたよね?

年賀状文化は確実に廃れて行っており、今では小中高生に年賀状を送る習慣がなかったり、職場の同僚にも送らない人が増えていると言います。

なんなら、個人情報保護の観点から学校のクラスメイトであっても、職場の仲間であっても、自宅住所を教えないという考えが強まっていて、ボクが学生時代は存在した学校中の在籍者を網羅した住所録なんてものは多分もうないでしょう。

つまり、年賀状を送りたい場合、わざわざ住所を聞く作業が発生し、そして、教えあえる仲は限られた面々となるのが今の時代です。

数年間年賀状から離れて暮らしていた

それ以前に、ボクがアメリカで暮らしていた数年間、ボクが海外にいることを知らずという人や、知っていても律儀に送ってくれていた友達など毎年10枚弱は届いていた年賀状も、

こちらから出すということはない生活を7, 8年していたんですね。

もしかしたら、その年賀状から解放されていた時間から、日本に戻ってきてまたまた年賀状ありの人生に戻ってしまったためよりしんどさ、面倒臭さを感じてしまうのかも知れません。

などなど、

年賀状をやめる話は尽きませんが、

次のセクションで大きく4つに分けた、「年賀状を送りたくない」理由から、ボクは2021年から年賀状を送ることをやめることにしました。

相当嫌ぽいねぇ〜

年賀状を送りたくないと思う4つの理由

年賀状を送りたくない、と思う理由はいくつかありますが、先ほど書いた通り、住所を知らないという理由を含め、以下の4つがあります。

  1. 住所を知らない、聞くのが面倒
  2. 片思いがしんどい(どちらの場合でも)
  3. 年賀はがきの費用的負担は小さくない
  4. 社交辞令文化のトップに感じる

一つ一つ解説します。

2:片思いがしんどい

片思い、つまり片方は送っていたのに片方が送っていなかったという”事件”が面倒くさいです。

例えば、自分は友達と思っているし大事な人だから送ったとします。でも、相手からは来ない。とか、普通に恋愛感情を持っている相手(好きな人)から来ないという悲しい出来事はもちろん、

逆に自分は好きじゃない、むしろ嫌い、など、願わない人から年賀状が来てしまった場合、結構だるいですよね?返さなあかんのかーっていう。

結婚式に誰を呼ぶかってよく見るあの感じに近いかも知れません。数いる”知り合い”の中から誰には送り、誰には送らないか?「あー、あいつと全然絡んでないけど年賀状来そうだしなー」とか、そんなのもう面倒です。

3:地味に金がかかる

ハガキの値段上昇により、費用的負担も増し、すでに絵柄がついている年賀はがきを買う場合、1通で80〜100円程度の負担が生じます。もし仮に、送らなければならない相手が50人いた場合、4,000円〜5,000円という出費です。

何も絵が描かれていない白紙のものでも、じわじわ値上げしたおかげで現在63円。これに自筆で何か書くだけではなく、プリンターで絵をプリントするなら、プリンターによりけりですが、1枚10円〜15円かかると言われているので、安くても1枚73円、高いと80円近くするため、すでに印刷されているタイプを買う場合とそんなに変わらない出費。やっぱり4,000円(50枚で)くらいかかっちゃいます。

はい、地味にしんどいですね。

4:ジャパニーズシャコージレー

はい、

なんだかんだでこれが一番大きな理由かも知れません。

日本で育ったボクですから、日本の文化の多くは共感しますし、好きだとも思っています。でも、しっくり来ないもののそれなりにあって、「社交辞令」がそのひとつです。

いわゆる、「行けたら行く」ってやつ、あれがかなり苦手です。

全然大丈夫じゃないのに、「全然大丈夫(苦笑)」みたいなやつとか。

年賀状、本当にほとんど関わりない方から頂いた時、「え、なんでこの人?」って思うことありませんか?

母もよく年賀状見ながら言っていました。

誰だっけ、これ?的なことや、書いている段階では、「あの人全然会ってないけど、うーん、出さないわけにはいかないしなー」的なこと。

そう、

年賀状は文化なんですが、多くの人が、

シャーナシでやっている!!!

んじゃないかと、ボクは思っています。

サラリーマン時代、会社内でもそういう会話は飛び交っていました。

「あの会社のxxさん、もう仕事することないと思うけど、一応送っとくか〜」的なやつだったり、「隣の部署の課長、別にお世話なってないけど、送っとかなきゃやんね?」みたいなやつなど。

今、多くの人が、年賀状なんかなくなって仕舞えばいいと思ってるとボクは考えます。

ボクくらい図太い神経というか、KYというか、アメリカかぶれキャラなら、年賀状をほぼ関わっていない方から頂いてもスルーできると思いますが、それが仕事関係だったり、頻繁に顔は合わせる関係だったりすると、「出さないわけにはいかない」精神が働くんだろうと思っています。

そしてそれは、

本当にご挨拶したい人に送っているわけではない

という状態なんですよね。

 

などなど、

こんな感じの理由で、ボクは数年前から年賀状を出すのがしんどく感じていました。

なるほど、地味に理解できる気がする

君年賀状書いたことあるの?

ない

・・・・。

年賀状にもいいところはある

とはいえ、

年賀状文化を全否定しているわけではありません!

疎遠になっているかつての友人に近況を伝えるいい機会であったり、普段特段交流することはなくても人生レベルで永遠に感謝の気持ちを持っている方に1年に一回ご挨拶できる機械であったり、来なかったらがっかりしますが、一体誰が自分のことを大切な人(挨拶したい人)と思ってくれているのかな〜とワクワクする要素もないこともありません。

そもそも論、「挨拶」は大事ですし、新年を迎えるタイミングで、新たな気持ちで「今年もよろしくお願いします」と挨拶するのも大事だと思います。

100歳まで生きたとしても、どうでしょう?9x回くらいしか新年って迎えないんですからね、って考えると、1年に一回くらい、ちょっと面倒でも、ポジティブに捉えてもいいんじゃないか?とも思っています。

何事も変わる時はくる

でも、年賀状はやめます!

今、ちょうど時代はガソリン車から電気自動車へと移っていくタイミングですよね?15年くらい前、カメラにおいてフィルムからデジカメへと変わっていく時、多くの古くからのカメラ愛好家が「デジタルは味がない」とか、「フィルムじゃないと写真じゃない」と叫んでいたのが懐かしく感じます。

車も、ガソリン車のあのエンジン音がなくなるのが嫌だ、とか、電気自動車はすぐ充電できないじゃないか、不便だ、などネガな部分を取り上げ、時代が変わっていくことに抵抗を感じる人は少なくないです。

どんなことも永遠には続きません。

かつて黒々していた髪はいつか白くなりますし、あんなに速く走れたのに、ちょっとしたスロープが苦しくなります。

買った時はピカピカで、爆速だったスマホは、4年くらいしたら「まだそんなの使ってるんだww」って言われます。

そう、

どんなものも劣化したり、古くなったり、衰えるのです。

文化・風習もその法則に逆らえない時があるのです。

コロナ禍にも感じる、変わらないと思っていたものが変わる様

コロナ禍、ちょっと前まで当たり前だったことがいくつも覆りました。

便利で革新的な機能だったし便利だったはずの顔認証が、マスク時代には面倒で仕方ない。

あんなにエコバッグエコバッグ言っていたのに、それが感染源になるから使い捨てを使えとか言い出したり。どっちやねん、って話。

あらゆるところに透明の壁が生まれ、銀行に顔を隠して堂々と入れます。

誰もが予想しないような変化はいつやってくるかわかりません。

年賀状に代わるコト

というコトで、何度も繰り返しますが、

ボクは年賀状をやめます!

今年決行の理由はコロナ

ここまで書いたことは数年前から思い続けていたことなのですが、コロナ禍に決定的になった感じです。

  • コロナ禍、動くことを減らしたかったり、色々気を使う
  • 明けても正直全然めでたくない

わかりやすい理由は1個目ですね。

色々気を使う

正直、Amazonとかで買いまくっているボクですが、でも、配送中に菌が付いている懸念などから、届いた荷物はアルコールスプレーで除菌、可能な場合しばらく置きます。

ハガキにそんなポテンシャルあるのかわからないですし、郵便屋さんが破綻してもいけないと思うのですが、年賀状を書く作業には、年賀状を買いに行く(郵便局はなんだかんだでこの時期結構密)ことや、ポストに出しに行く作業。細かいですが、人が動くことになります。

なるべく減らすという意味では、年賀状をやめると少しは減る。そんな感じ。

明けても全然めでたくない

そのままですが、年が明けてもどん底ですよ。いつコロナが終わるかわからないですし、コロナ関連で苦しいことは何も解決していません。

新年を迎えられた(コロナで死んでない)ことを喜ばしく思い、めでたいと言うのはアリかもですが、日本でも第三波が過去最悪規模で感染者、死者を増やし続けていますし、海外でもロックダウン再開の国が少なくない情勢で、どう祝うのか?と言う感じです。

なので、ある時期までは年賀状のデザインを考えたりもしていたのですが、

どうしてもめでたいイメージの絵が描けず、この記事のトップ画像にもしていますが、コロナに絡んだ絵ばっかり描いてしまっていて、全くめでたい気持ちになれなかったのです。

英語ではHAPPY NEW YEARと言いますが、何もハッピーじゃない。

喪中ではありませんが、喪中のような、

手放しでハピニューーーーってなれる気分では最後までなかったので、デザインも完成させられず、ハガキも買いに行く気分になれなかった。

なので、

かねてより、「いつやめようか」と思っていた年賀状をやめるのを今年にしたと言うことです。

では挨拶はしないのか?

そう言うわけではありません。

今年は、全然ハッピーじゃない、と言う理由から粛々とでしたが、今後はデジタルでより大きな形で挨拶していく方向で考えています。

すでにそちらの方がスタンダードとも言えますが、SNSでの挨拶を強化し、

そして、これはアメリカ式に近いですが、実際に新年初めて会った時に、丁寧にコトヨロする。

それが今のところのボクのイメージです。

シアトル生まれ、大阪育ち。6年前に独立・起業しましたが、コロナ禍で事業が大ダメージを受け、人生の方向転換に悪戦苦闘の日々です!とにかく、「ワクワク」に満ちた毎日を目指してできることから地道に頑張っています〜!