「エコーチェンバー現象」という言葉を聞いたことがありますか?
昨今SNSの発展と共に使われる機会が増えたこの言葉ですが、インターネットが普及する前から存在しています。
今日は、ボク自身も経験したことを踏まえて、「気をつけたい」を発信するための記事を書きます。
MoKuJi
エコーチェンバー現象とは
現代社会では、特にSNSで自分と似た考え方・価値観を持つ人同士が集まり、同じ意見・主張に触れ続けることで自分の考え方や思想が肯定され、それらの考えがあたかも世間一般も同様であると勘違いしてしまう現象です。
最初に書いた通り、言葉自体は1990年に存在していたとされるため、元々はインターネット上での話ではなく、「閉鎖的」なコミュニティーで同じ意見・考え・価値観を持ったもの同士が交流することでその意見が強化されていく様を、”チェンバー”、つまり部屋の中で”エコー”、反響するイメージで表現された言葉としてエコーチェンバー現象と名付けられています。
エコーチェンバー現象が起こっている例:
イメージとしては、会社の中である事柄について反対意見を持った人が会議室で集まり、「そうだそうだ!」と同調意見を投げ合う中で、「みんなもそう思ってるんや!」という気持ちが強まり、何らかのアクションに移るための勇気を得たり、自分自身が間違っていないという自信を得たりしていくようなシチュエーションを想像してみてもらうと伝わるかも知れません。
「そうだそうだ!」ってシーンはよくあるやつやね
よくあるし、一見すると何が悪いのか見えないかも知れない
うん、今のところわからん
「確証バイアス」と「フィルターバブル」
エコーチェンバー現象を紹介する上で同時に紹介したいキーワードに、「確証バイアス」と「フィルターバブル」という言葉があります。
確証バイアスとは
逆にいうと、自分の信じることとを否定する情報とか、不都合な情報を見ないようにするともいえますが、一度持ってしまった先入観に対して、そのイメージを補強するために都合の良い情報だけを信じ、取り入れていく状態です。
確証バイアスの例:
振り込め詐欺がいい例だと思います。まず、「自分に限って引っかからない」という先入観があります。そこに、事故を起こして示談金が必要だという息子を名乗る人物から電話があります。自分に限って騙されるわけがないと思っているため、これを詐欺と疑うことをしません。さらに、自分にとって都合のいい情報だけを取捨選択するので、
- 自分には確かに息子がいる
- 息子は車の運転ができる
- 弁護士を名乗る人からも電話があった
- 示談が成立しないと大事になる可能性は十分ある
これらの情報を選び信じていく一方で、
- いつも「俺俺」と名乗ることなく最初から本題を話す
- いつもは固定電話ではなく携帯電話にかけてくる
- まさしく振り込め詐欺と呼ばれるシチュエーションだ
などという点は見ないようにしていて(無意識なので自覚としては見えていない/聞こえていない)、目が覚めて(気付かされて)からでないとその違和感や疑問点に全く気がつかないのです。
他にも、血液型占いについても確証バイアスだと言われることが多いですね。
客観的に見ると、なんで騙されるんや??ってなるけどね
当事者には見えていないことがいっぱいあるわけだよ
フィルターバブルとは
イメージとしては、シャボン玉の中に閉じ込められて、近しい考えや情報だけの空間にいるような感じです。情報自体はネット上にたくさんありますが、シャボン玉の膜に邪魔されて、自分には届かない状況です。
これらの二つのキーワードがエコーチェンバーとどう関係するかというと、上記の通り、いまのインターネット社会においてエコーチェンバー現象という言葉が飛び出すケースは、その多くがSNSだったり、ネット掲示板だったり、インターネット上でその現象が起こっている時が多いからです。
エコーチェンバー現象は、かつては自分から近しい思想を持った人が集まる場に足を運ぶことで現象の中に身を投じてしまっていたかも知れませんが、いまのインターネット社会では、フィルターバブルのようなシステム側の効果によって、自分に都合の悪い(=考え方が違っている)情報から隔離されることがあり得ます。
また、この、インターネット社会において情報は無限ですよね。例えば、「ダイエット 成功」と検索したとして、本当にその検索者本人に効果があるダイエット法”だけ”が出てくるとは誰も思わないはずです。ある人には効いた方法でも、別の誰かには効かなかったり、そもそもダイエットの効果が出やすい体質の人と、なかなか痩せられない体質の人もいますよね。なので、ネット上で、本当に検索者にとって有益な情報は見つけにくいのですが、確証バイアスの効果によって、検索者にとって都合いい情報を集めたい心理が起こるのに対して、その、「都合いい情報」が溢れているため、簡単に手が届きます。
フィルターバブルにはメリットももちろんあって、世に溢れる無数の情報の中からできるだけ自分にとって有益な情報に絞って提案してもらえることはありがたいはずですし、情報を発信する側にとっても、関心を持ってもらえない人に発信した情報が届く可能性を減らせるため悪いことばかりではありません。
ただし、今回の題材であるエコーチェンバー現象においてはマイナスの作用となってしまうことがあるということです。
広告とかもトラッキングしてくるもんな
そうそう、それ
Google様のお考え一つで見える情報が変わるわけね
Googleだけじゃないけど、まあ、そんな感じやね
本当に怖い、エコーチェンバー現象の危険性
ボクは仕事柄、10代の若者と関わることが多いのですが、彼らはいわゆる「デジタルネイティブ」と呼ばれる世代で、生まれた時から、もしくは物心ついた頃からすでにインターネットが存在していて、インターネットはもちろん、SNSもなかった時代を知りません。そんな世代の人たちにとって、ネット上で同調できる人と交流することに違和感を覚えないばかりか、「何があかんの?」と思う方が多いかも知れません。
インターネット以前でも、例えば「阪神ファンが集う居酒屋」とか「ビートルズだけを流すカフェ」とか、同じものを愛好する人、同じ何かを応援する人同士が集まる場所はたくさんあったと思いますし、それ自体が悪いことだとはいえません。
エコーチェンバー現象の怖いところは、自分(たち)の意見が正しいと思い込んでしまい、そこに、間違った要素があったり、他の見方があったり、改善の余地があったり、というところに全く目が行かなくなり、気がつく機会から遠ざかってしまうところにあります。
自分がええと思ったことを信じるのはあかんのか?
信念を持つことは素晴らしいことだよ
ただ、他の考え方とか、意見があることを知っておくのも大事ってこと
信念や自分の強い意志を持つことと、他を排除することは別
これは、インターネット上に限った話ではなく、考え方や価値観、意見、思想というものは千差万別、十人十色、いろいろあります。国や文化である程度の傾向はあるとはいえ、同じ町で育った同世代でも全然違う考え方を持つことは少なくありません。
ボク自身、いろいろな物事に対して強い意見や意志、ポリシーを持って生きている方だと思うし、それを理由に他の意見に簡単には流されない性質を持っていると思います。
なので、周りにいる人からは、「人の意見を聞かない人」と思われることもしばしば。
これが発展して、「融通が効かない人」とか、「頑固な人」と思われているかも知れません。
ただ、日本よりはるかに多様性が進んでいるアメリカに住んでいた時間が長いこともあるでしょう、世の中には自分が想像もつかないような考え方や習慣、文化があることも知っているつもりだし、未知の価値観に出会うことで驚くこともあれど、それはポジティブな驚きで、常にワクワクが伴っていると思っています。自分の信念を理由に、どうしても受け入れ難いこともあると思いますが、それでも一方的に否定する人間ではないと思っています。
エコーチェンバー現象の怖いところは、信念や思想というものではなく、自分から率先して、自分の考えと同調する情報だけを受け取り、不都合な情報を排除するところにあります。
例:マスク不要説
例えば、最近議論されることが増えていますが、マスクをずっと着け続けるべきか否かという論争がありますよね。これについて、自分はもう着けていたくない、と考えた時、同じように、「もうマスクはしなくていいよね」という意見が集まる場所に行き、「そうだそうだ!」とマスクはもうやめよう、という声を集めていきます。しかし、世間を見渡せば、理由は違えど、マスクをまだするべきだという考えも多く、実際にマスクを着けている人はまだたくさんいて、マスクをしていない人を見たら不安に感じる人もいます。
この例で言うと、マスクをまだつけている人を異常者として全否定し、マスクをするべきだと言う根拠になる声(意見)を一切排除(見ないようにしたり否定したり)します。もしかしたらマスクはもういらないのかも知れませんが、明確な科学的根拠はまだありませんので、マスクをするべきという意見に聞く耳を向けることは大事です。しかし、エコーチェンバー現象が起こっていると、自分の周りにいるすべての人が「マスク不要」と言っていると勘違い(誤認識)しているので、悪意なく、マスクをしなくていいという考えで突っ走ってしまうのです。
気づかないうちに人を傷つける可能性がある
エコーチェンバー現象の怖いところの一つは、小さな部屋(閉鎖空間)での反響により、自分の考えが、周りにいる人全員で共有されていると錯覚することから、「絶対的な正解」と自信を持って認識してしまうところにあります。
この作用から、もし、この絶対的な正解とズレた、もしくは全く違う考えを持った人と出会った時、「異常者」だったり、「異端」だったり、場合によっては、「悪」と捉えてしまいます。
そして、例えば「お前は頭がおかしい」と罵ってしまったり、「あなたは悪者だ」と強く出てしまいかねません。
例えば、18歳成人が始まりましたが、まだお酒と喫煙は20歳からですね。しかし、18歳になったある人が、もう成人なんだったらお酒も飲めるべきだと考えました。
18歳で成人にしたんだからお酒も飲めるべきでしょ!
この意見それ自体は議論の余地のあるものだとボク個人は感じますが、現状の日本の法律では飲酒は20歳からです。しかし、18歳成人に伴い、ちょっと混乱している人もいるだろうし、こういう議論自体は起こっても不思議ではありません。
しかし、エコーチェンバー現象が起こってしまうと、チェンバーの中でこの男の子は、「同じくそう思う」と言う声に囲まれることで「ですよね!」と自分の思想に自信を得ます。その結果、飲酒に走る可能性もありますし、チェンバーの外で出会う、「いやいや、まだ18歳なら飲酒はダメだよ」と言う意見に対して攻撃的な姿勢をとってしまい兼ねません。
世の中にはいろいろな人がいる
世界を見渡せばもちろんですが、日本国内、同じ学校の中でもいろいろな人がいますし、多様化というキーワードが飛びかう今、いろいろな人がいることは良いことと考える人が増えています。
日本はあまり多くの民族やバックグラウンドを持った人が混ざっているとは言い難いですが、海外には人種や文化、言語など多様性に富んだ国や地域もあります。
多様なことにデメリットもあり、種類が限られていることのメリットもありますが、どんな場所でも「絶対一つの意見」ということはレアではないでしょうか。
一般的なホームルームは40人くらいですが、その40人が全員同じ考え、意見、思想ということはまずありません。偏りはあれど、100%はレアでしょう。
しかし、日本はどこか、一つの考えや価値観で統一しようとするようなところがあって、マイノリティー(少数派)に寛容でないと感じます。
だからかも知れませんが、特にネット上では容易に同じ意見、考えの人が集まれるため、エコーチェンバー現象が生まれやすく、いろいろな人がいることや、その意義について忘れられがちです。